主題歌【オープニング&エンディング】
第ゼロ感歌詞
LOVE ROCKETS歌詞
SLAM DUNK 湘北VS山王戦 感動の”解説動画”を振り返る
やはり様々な方々がこの映画の動画を上げているが、やはり一番共感できたのは、中田敦彦のyoutube大学。特に原作の解説は私が一番好きな動画です。
宮城リョータ成長の物語
このTHE FIRST SLAM DUNKの主人公は宮城リョータ
※作者の井上によれば、リョータという名前がカタカナであることは、桜木が人の名前をあだ名で呼ばない時は、必ずカタカナにしていたため、桜木に「リョータ君」と呼ばせていたら、自然とカタカナになり、漢字をあてられなくなったからとのこと。
【プロフィール】
所属:湘北高等学校2年1組
身長:168cm
体重:59kg
誕生日:7月31日
出身地:沖縄県
背番号:7
ポジション:ポイントガード(PG)
【家族】
宮城ソータ(兄)
宮城カオル(母)
宮城アンナ(妹)
宮城ソータは宮城家の長男でリョータの3つ上(12歳)の兄。地域のミニバスで名選手として知られていた。背番号は7。ソータはリョータにバスケを教える。
ソータとリョータは誕生日が同じであり、それを珍しいなと話していた。ソータの愛用の赤いリストバンドはソータの死後、リョータが心の拠り所にしていた。
ソータは父が亡くなった際、悲しみに暮れる母を見て自身が行なっているバスケに習い「この家のキャプテンになる」と宣言し、リョータを副キャプテンに任命。
この時は気丈に振舞っていたものの、本当は強い悲しみを感じており、後に海に面する岩場に作った秘密基地の中で泣いていた。
ソータがバスケ関係の雑誌で山王工業の記事を読んでいる時、リョータに山王に入るのかと聞かれた際「それよりもこうだ」と表紙の「山王」に続き「(山王)に勝つ」と書き込み、試合の様子を想像していた。
ソータは釣りに出た船で海難事故に逢い逝去してしまう。
宮城カオルは宮城家の母。夫、立て続けにソータを亡くし、2人を喪った悲しみから未だ抜け出せず、それが原因でリョータと関係を上手く立て直せずにいる。ソータの試合やリョータがバスケの練習をする様子をビデオに収めており、2人の誕生日にはそれを観賞。
ソータの事を思い出すバスケは嫌だとリョータは推測していたが、リョータがバスケをするのを止めた事は一度もない。IH第2回戦の山王工業との試合を観戦していた。
少年期のリョータは兄にバスケを教わり、何度も1on1を申し込むなどバスケに没頭。ソータが釣りに行く際、1on1を放棄された事が不満で泣きながら罵声を浴びせ、それが最後の言葉となる。
ソータの逝去後、同じ背番号7を受けミニバスの試合に出場するも相手チームのソータと対戦した事のある選手や観戦者に「兄ほど凄くない」などソータと比べる発言を多々受ける。
ソータの部屋で雑誌を読み返していた際、カオルが部屋をもう必要ないと片付け始め、それを止めつかみ合いの喧嘩になる。この時期から2人の関係が変わっていく。
その後、沖縄から神奈川に引っ越す。転校先で感じの悪い自己紹介をし同級生から暴行を受け孤立。また、新しい家が団地のため以前のように自由にバスケが出来ずフラストレーションが溜まっていった。
ある日、バスケットコートで行おうとするも1on1をする相手もおらず1人で黙々と練習していたところ、三井寿[注 9]が訪れ1on1の相手となる。しかし突っぱねる様な態度で接し、三井もすぐに友人の元へ行き、そのまま高校に入学するまで再会する事は無かった。
高校入学後のリョータは湘北高校に入学。バスケ部に入部し、赤木・木暮と出会う
練習などに取り組む際、赤木から「プレイがチャラい」などと叱咤される事が多く、その度に悪態をついていた。同じく湘北に入学した安田は赤木がリョータに期待していると諭すも、関係はそこまで良好とはいかないままであった。
しかし、夏のIH予選にて敗退した後、3年が自分たちが引退して「恐怖の独裁政権の始まりだ」「問題児(リョータ)も残る」と散々な言いようであり、リョータのプレイについても触れていた。その時に赤木が「宮城はパスが出来ます」と庇い立てするような発言をし、赤木の真意を知る。
その後も練習のたびに叱咤されて悪態をつく繰り返しであったが、ある日の帰りに三井・堀田達と遭遇。堀田達に絡まれるも三井に「いつでも1on1やってやるよ、負けたら坊主な」と挑発し逃げ出す。これがきっかけとなり後の暴行へと繋がった。
前述の事もあり、三井率いる不良グループに屋上へと呼び出され、暴行を受ける。原作でも語られていたが、追加描写として、リョータはこの時内心怯えており、震える手をポケットに入れ平気なふりをしていた事、リョータのバッシュを三井が蹴飛ばす描写が追加されていた。
暴行を受けた後、傷だらけのまま家に帰宅。その際カオルに傷の事を尋ねられたが答えず、バッシュをダンボール箱にしまい込みバスケから離れる。
この事で気が立ったままバイクを猛スピードで運転し、大事故を起こす。病院で意識が戻った際にトンネルを出た際に(おそらく事故直前だと思われる)故郷沖縄の景色が見えたと話し、カオルに厳しく叱咤される。
退院後は沖縄に帰省。知り合いと再会したり、過去に自身が住んでいた家を見たりと懐かしんでいた。
大雨の中、秘密基地に訪れる。おもちゃを手に取ったり、ソータと読んだ雑誌を取り出したりしていたが、1on1で使っていたしぼんだボールと赤いリストバンドを見つけ、ソータの事を思い出し号泣。その時には雨は止み夕日が見えていた。
再びバスケに熱を込めるようになり、砂浜でのビーチランやドリブルの練習などを行い、やがてチームに復帰する。
17歳の誕生日には母に宛てて手紙を書く。山王工業との試合に出場する直前であったため、出発前に置いていく形となった。
山王工業戦直前、ロッカールームにて黒いリストバンドとソータの赤いリストバンドを付け「行ってくる」と決意を込める。
試合中は過去の事を思い出しながらも没頭。「流れは自分たちで持ってくるもんだろがよ!!」とチームを鼓舞したり「ドリブルこそがチビの生きる道なんだよ!!」と自身の体躯から出来る事を見出しゾーンプレスを突破、リョータ本人は知らないもののカオルも試合を見に来ており、ゾーンプレス突破の際には「行け」と何度も呟き思いを込めていた。(下記、感動の場面)
山王工業との試合後は帰省。カオルと話をしソータの赤いリストバンドを渡す。
その後、湘北でキャプテンとなって以降と思われる時期に渡米。先に渡米していたと思われる沢北栄治が所属するチームと対戦する場面で幕を閉じる。
日本最強のチームに勝った湘北メンバー
超絶絵が上手い井上先生が書き込んだ湘北メンバー。カッコイイとしか言えない。
山王戦、最後のタイムアウトの際、いつもは赤城が掛け声をかけるが、赤城は掛け声をするようリョータを指名する。下は「1、2、3、勝つ!」のシーン
最後の最後、もう負けか!と全員が思った残り5秒。
ひとり相手コートに走り込む花道。赤城→宮城を見ると流川にパスの視線→流川にパス→誰にも止められない光速ドリブルで相手陣内へ→日本高校最高プレイヤーの澤北と河田兄の鉄壁2枚ブロックで万事休すか!?→SLAMDUNK史上初めて流川から花道へパス→「左手は添えるだけ」とつぶやきながら花道ジャンプシュート→ブザービーター→湘北の逆転勝利で試合終了。