【鎌倉殿の13人】武家政権VS朝廷の最終決戦!承久の乱を資料満載で徹底解説

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鎌倉殿の13人もいよいよ最終章に突入しました。

最後の戦い”承久の乱”に向けて物語は進んで行きます。

【概要解説】承久(じょうきゅう)の乱とは

【概要】
承久の乱とは1221年(和暦:承久3年)に後鳥羽上皇が日本初の武家政権という新興勢力を倒し古代より続く朝廷の復権を目的として鎌倉幕府執権である北条義時に対して討伐の兵を挙げて敗れた戦いである。

【背景】
日本初の朝廷と武家政権との間で起きた武力闘争である。鎌倉幕府の初代将軍である源頼朝から3代将軍である源実朝までの将軍は清和天皇の血をひく将軍であり、朝廷にとっては身内とも言えるため武力衝突には至らなかった。しかし3代将軍実朝が暗殺されて源氏将軍が途絶えると鎌倉幕府は朝廷から形だけ4代将軍を迎え入れ、実際は将軍の補佐役である執権の北条義時が幕府の実権を握ったことで、承久の乱に至ることとなった。

【交戦戦力】

鎌倉幕府軍 朝廷軍
指揮官
北条義時 後鳥羽上皇
北条泰時 藤原秀康
北条時房 大内惟信
北条朝時 三浦胤義
武田信光 山田重忠
三浦義村
戦力
約190,000(吾妻鑑) 約1,700(諸説あり)

【経過】
1221年、後鳥羽上皇は有力御家人に対して北条義時追討の院宣を出し朝廷からも義時追討の官宣旨が出された。ここで北条政子は、源頼朝らの恩を説き一致団結するよう呼びかけ鎌倉幕府の御家人は結束を強める。

【北条政子の演説】
右大将(源頼朝)が幕府を作り、昨今は平家におびえることもなく、生活も安定したでしょう。そんな亡くなった右大将の恩は山よりも高く、海よりも深い。しかしながら逆臣が讒言ざんげんしたのであろう、不義の院宣が出された。さあ、名を惜しむものならば朝廷側に味方する武将を討ち、右大将の恩に報いるのです。もし朝廷に味方するものがいるならば、今すぐ名乗り出なさい。

義時は政子の演説3日後に多数の軍勢を京都に差し向け宇治川で対峙した(下写真)。

後鳥羽上皇と幕府軍の戦いは一日で決着が付き、後鳥羽上皇の敗北となった。
後鳥羽上皇は隠岐(下写真)に配流された。

以後、鎌倉幕府は朝廷の力を制限し、京都に朝廷を監視する六波羅探題(下写真)を置き、皇位継承にも影響力を持つようになった。これまでの源氏将軍の時代は東国に影響力をもつ政権に過ぎなかったが朝廷の影響下にあった西国を支配下に納め日本全土を統治することとなった。

【参考資料】
https://benesse.jp/contents/history/joukyunoran/

なるほど!歴史ミステリー:鎌倉殿の13人クライマックス承久の乱

 

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【X】https://twitter.com/masa_m2「販売職×食」業界の専門家|経歴:生協、GMS、食品SM|職務:バイヤー、店長、ネットスーパー、マーケティング(MD立案)|「販売職×食」業界の歩き方、昇り方、渡り方について発信します。【電子書籍】アラフィフ転職 完全ガイド・・40代50代転職について自身の実体験をベースに著した戦略の書。キャリアを総決算し新しい働き方を提案します。
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