
今回は、私が新卒で入った会社を退職し、転職活動をした第二新卒”リアル体験”を書いていきたいと思います。今思うことは成功しても失敗しても転職はネガティブなものではありません。ドラクエにも転職があります。今まで上げてきたレベルがゼロにはなり、新しい職業のレベル1からの再出発ではありますが、最終的には魔法使い(攻撃魔法)と僧侶(守備魔法)の両魔法を操りながら、通常の攻撃でも戦士並みの強さを誇るような人になることができます。人生の時間は有限。人生の逆算をしながらどの時点で転職というカードを切るのかを見極めましょう。

日本社会においては30代~40代にかけてミドルマネジメント業務(責任者業務)を担うようになり、給料が大幅にアップします。大切なのは20代です。20代で自分の興味ある仕事や会社の門を叩きレベルアップを進めてください。
門を叩くのはタダ(無料)!会社の事情などは考える必要はありません。
20代で試行錯誤し、得た経歴とスキルで30代~40代のミドルマネジメント業務を担い、給与としてリターンを得るというイメージです。
本記事の信頼性

私は「販売職×食品」業界で、これまで2回の転職に挑戦してきました。
✅1度目は24歳の時”スケールアップ”転職
地域生協から一部上場GMSへ
✅2度目は30歳の時”ステージアップ”転職
一部上場GMSから県域一番の食品SMへ
売場責任者(主任)→バイヤー、店長、事業責任者へ
タイプの違う3つの食品小売企業で経験を積む業界のプロです。
【Twitter】https://twitter.com/masa_m2
2022年に業界知見をまとめた著書
「スーパーマーケットの新潮流」を出版しました。

それでは私の転職体験談を共有していきたいと思います。
・・・と、その前に、まず転職を決めると半年ほどの壮大な冒険が始まります。事前に転職活動のスケジュールのイメージができる記事を貼っておきます。宜しければご参考に。

会社を辞める方法
先ほども書きましたが、辞める方法は、上司に辞める事を告げることから始まります。
本社から偉い人が来たり、説得されたりします。
決めるのは自分自身ですので、誰にも慮る必要はありません。
事務的な退職手続きを行い、退職日まで勤務すれば、晴れて退職は完了します。
悩む決断になるとは思いますが、辞めてしまえばあっけないものです。簡単です。
しかし転職をしたことがない人には分からない世界でもあります。
【注意事項】
辞めたら一定条件の下、失業保険を貰うことができます。
源泉徴収票など必要な書類がありますので総務の人としっかりコミュニケーションを取ってください。書類を無くさない様、保管を万全に。
会社を辞めた直後の話
私が会社を退職して実家に戻ったのが25歳、最初に行ったのがハローワークの手続きでした。日本社会には、無職になったらハローワークというセイフティーネットがあります。働いているうちに納めた失業保険を使う権利を得たのですから使わない手はありません。
私が転職活動をしていた時は失業率が高く、いつ行ってもハローワークは利用者でいっぱいでした。
何故こんなに利用者が多いのかというと、優良企業の応募は競争率が高く、良い会社から人員募集が出たら、すぐさま手続きをして面接に辿り着くためという理由からでした。応募人数に達すると応募は締め切られます。
そんな早押しクイズの様な世界なんだ!と驚いたのを覚えています。
しかしながらどちらにしても就職とは「ご縁」である事には間違いありません。
基本、入ってみないと自分と会社の相性は分からないと思います。
自分の運も前向きに信じましょう!
私は急いで就職する気はなく、職業訓練という以前の給料の7~8割くらいを支給してもらいながら学校に通うという”夢”の様な企画がある事を知っていたので、何としてもそれに応募したいと思っていました。まだ25歳だったので、これから果てしなく広がる人生の可能性を時間を掛けて、自分に不足している知識を勉強しながら、しっかりと決めていきたいと思っていたからです。
ハローワークの職業訓練説明会に参加し資料を眺めながら「マーケティングコース(半年間)」という文字に目が留まりました。大学では教養課程・専門課程を通し様々な流通の勉強をしてきたのですが、経営学部ではないので本格的にはマーケティングを学習した事がありませんでした(自己啓発でビジネス書を読む程度)。しかも国からビジネス専門学校に業務を委託をしているとの事で、雇用保険という名の給料をもらいながらビジネス専門学校に通える事がわかり、すぐに必要書類(応募動機など)を作成して応募しました。窓口の方に「審査があり狭き門だよ」と言われていたので、ドキドキして待ってたのですが、合格通知が届き、念願の学生生活リターンズが始まったのでした。
職業訓練校(ビジネスコース)へ通う
専門学校の場所は、私が住んでいる町から電車で45分程にある、県庁所在地の中心街にある大きな専門学校のビルの中にありました。都会のビルを見上げながら、つい数週間前までは山が美しい川沿いの街で生協のお兄さんとしてトラックを運転しながら食料品を配達していた事を思い返すと、人生のダイナミズムを感じずにはいられませんでした(もちろん、その風景が大好きでした)。大切なのは、”自分の意思決定次第で目の前の景色を大きく変える事ができるんだ”ということす。「生きている」という実感が沸いてきました。
専門学校の大きなビルの中では、マーケティングコースだけではなく、宅建コースや医療事務コース、CADコースなど色んなコースが色んな教室で行われており、我々の様な若い者から、一見、窓際族からリストラされたような初老のおじさんや何故だか主婦のようなおばさん、年齢不詳の怪しい人物も沢山おり、驚きの連続でした。でもそのうち、なるほど職業訓練校という事だけあって社会の縮図のような人員構成なのだと自分で勝手に納得したのでした。どうやらこれまでの学校の様に、同年代の集まりではないようです。カワイイ女子達との楽しい学園生活の夢は崩れましたが、勉強をやり直す時間が持てるのは、きっと人生で今回だけであろうと頭のどこかで直感しており(実際にそうでした)、本気で勉強に打ち込もうと思ったのでした。
職業訓練校の仕組み
興味深かったのは、授業を受けると先生から「印」を貰い、月末になるとそれを提出する。その出席印が証明となり、当時の失業保険のお金と交通費が支給されるという仕組みでした。最低限、授業に出席していれば毎月20万円くらいのお金を貰う事ができるのです。テストの点などもあまり関係ないようでしたので、ただ授業に参加して寝ているだけの人もいたように記憶しています。
職業訓練校(ビジネスコース)で学んだコト
授業では、経営の戦略策定プロセスからマーケティングミックス、損益分岐点など会社の経営者が活用する学問が主であり、無職の我々とのギャップを感じずにはいられない授業でしたが(違和感すごい・・)、いつかこの学問を使う日を夢見て、一生懸命授業内容を書き留めたのでした。その伏線を回収するのが、それからスーパーマーケットに入社し、部門責任者(バイヤー)となり、そのような戦略を考える立場になったのが10年後。当然、専門学校の事など忘れて日々働いていたのですが、今となっては自分が向かっていた方向が間違っていなかったと思います。人生には伏線と回収がある。しっかり伏線を張りながら回収するタイミングを練る事が大切だなあと今になって思う、今日このごろです。
中編では職業訓練校での出会いと、再就職に向けた活動について書きたいと思います。


転職を決断すると退職から再就職まで約半年の長い冒険が始まります。
具体的な転職スケジュールについてまとめた記事を貼っておきます。ご参考に。
