
【前回までのあらすじ】
新卒で働いた会社を退職し、数週間後には県庁所在地にある大都会のビジネス専門学校(大きなビル)に職業訓練という名の下、通うことになり、目の前の景色の変化に感動しながら新しい人生のスタートを切ったのでした。
本記事の信頼性

私は「販売職×食品」業界で、これまで2回の転職に挑戦してきました。
✅1度目は24歳の時”スケールアップ”転職
地域生協から一部上場GMSへ
✅2度目は30歳の時”ステージアップ”転職
一部上場GMSから県域一番の食品SMへ
売場責任者(主任)→バイヤー、店長、事業責任者へ
タイプの違う3つの食品小売企業で経験を積む業界のプロです。
【Twitter】https://twitter.com/masa_m2
2022年に業界知見をまとめた著書
「スーパーマーケットの新潮流」を出版しました。
それでは私の転職体験談(中編)を共有していきたいと思います。
・・・と、その前に、まず転職を決めると半年ほどの壮大な冒険が始まります。事前に転職活動のスケジュールのイメージができる記事を貼っておきます。宜しければご参考に。
久しぶりの学校生活
キンコンカンコーン♪
教室に開始のチャイムが鳴り響きます。先生が教壇に立ち授業が始まります。学校に通うのも2年半ぶりです。懐かしい雰囲気ですが違うことがあります。そう、ここは職業訓練コース、周りが年上のおじさん、おばさんばかりなのです。席は特に決まっていなかったのですが毎日通っていると、皆、自然と同じ席に座るようになり、個人を認識できるようになります。いつも一番前に座る白髪のおじいさん、2列目に座る主婦であろう女性、後ろに座ってる関わってはいけなさそうなヤクザ風の兄ちゃん、いつもウトウトしている何故かスーツでメガネのおじさんなど、、、「個性強すぎやろー(心の声)」
それでもだんだんと休憩時間に話をするようになり、話をしてみると、いろいろな事情で来ている事がわかりました。白髪のおじいさんは定年直後の、なんと!元部長さん、主婦に見えた女性は実は料理人、ヤクザ風兄ちゃんは来年には自分で起業を目指す行動派、スーツのおじさんは超有名な自動車メーカーだった人。皆、様々な経歴なのでした。
マーケティングコースの勉強は、メーカー目線の理論が多く、モノづくり大国の日本を感じさせるプログラムとなっていました。
学校生活に変化が
授業が進むにつれて、少しづつ人生徒が少なくなっていくことに気づきました。そう、早々と就職を決めて社会に戻っていくのです。ハローワークの話をした時と同じで良い就職先は早い者勝ちなのです。私は独身でしたし”人生の勉強期間”と捉えていたので、就職活動はせず、毎日まじめに学校に通っていましたが職業訓練校は就職させる為の学校。就職したら祝い金も出るそうで、就職が優先される世界でした。
学校が始まって3ヶ月くらいすると、クラスの半分くらいは就職して居なくなりました。そんな時、就職ガイダンスへ”社会勉強をしてみようという興味本位”で参加しました。あまり興味を引く企業は無かったのですが、初めて知る仕事がありました。先物取引を生業とする企業です。正直「こんなにリスクだらけの業務をする会社があるんだ〜」が私の心の声。私はスーパーマーケットしか入る気がなかったのですが、先物企業のブースで話を聴いてパンフレットを貰って帰りました。
次の日学校に行くと、先述のメンバーが「昨日のガイダンスどうだった?」と聞いてきたので「パンフレット貰っただけですよ〜」と言いながら先物取引会社のパンフレットを見せると、皆が口を揃えて「ここはやめておきなさい!」「親御さんが悲しむよ」と諭すように言われました。勿論就職する気はありませんでしたが、一番年下の私を心配しての親心…とても温かい気持ちになりました。一人、また一人とこの教室から巣立って行きましたが、なんだか我々は一緒の船に乗り合わせた運命共同体的な家族のような関係性になっていました。
職業訓練校から就職活動へ
入学したのは初夏でしたが、気が付けば秋。教室の人数も半分以下になっており、ある程度の学びを蓄積できた事に手応えがありましたので、いよいよ本気で再就職活動を始める事にしました。いよいよ職業訓練校から転職活動へ!


転職を決断すると退職から再就職まで約半年の長い冒険が始まります。
具体的な転職スケジュールについてまとめた記事を貼っておきます。ご参考に。
