今回は、今治タオルという伝統工芸の地域ブランドがブランディングの力で奇跡の復活を遂げた物語を紹介します。
これは物語の面白さはもちろんですが、一つのブランドをどの様に作り広めるのかという手法が見どころだと思います。
読み終わると今治タオルを使ってみたいと思うはずです(我が家もいっぱい購入しました)。
ブランディングの勉強に、ぜひどうぞ。それでは行きましょう!
【本の紹介文より】
いまや全国的に知られるブランドとなり、
ヨーロッパやアジア市場へと攻勢を強める今治タオルー。
そこに至る道のりは、まさに試行錯誤の連続だった。
小さな実践をひとつひとつ積み重ね、消費者からの信頼を勝ち取るまでの軌跡に、地域再生・JAPANブランド復活のヒントを探る。
「いいモノをつくっているだけでは売れない」
「いいモノをつくっているからこそ売れる」に変えられる!
こちらの要点まとめ記事はエッセンスをご紹介する記事となっております。もっと詳しく知りたい!と思われた方は、ぜひ、ご購入ください。
はじめにー奇跡の復活はこうして始まった
「いいモノをつくっていれさえすれば売れる」という高度成長期の発想から抜け出せない会社も沢山ある。たしかに「いいモノを作る」は日本のモノづくりの生命線でブレてはいけない。
しかしモノづくりは転換期にあり、いいモノを「きちんと伝える」ことを考えていかなければ、これからの時代を乗り切ることはできない。
ではその価値をどう伝えたらいいのか?それがブランド戦略ということになる。
僕が今治タオルのブランディングを引き受けたのは2006年のこと。当時、今治タオルの製造業者でつくる四国タオル工業組合には「もうダメだ」という悲壮感さえ漂っていた。これはクリエイティブ・ディレクターとして手掛けた仕事の中でも異例中の異例であった。
ブランド戦略の目的はイノベーションを起こすことにある。かつては「技術革新」と定義されていた言葉だが、今は「あらゆる領域で新たな価値の創造をすること」ととらえたほうが分かりやすい。
今治タオルは生き残る道を自ら切り拓いた。その歩みは、失った元気を取り戻そうと試行錯誤を重ねている日本中の「人」や「会社」や「町」にとって、多くの示唆に富んだ事例になると僕は確信している。
第一部 今治タオルのブランド戦略
第一章 「本質的価値」✖「戦略的イメージコントロール」
地域産業のブランディングは、僕にとってはじめての経験だった。四国タオル工業組合から相談を受けたコンサルタントの富山達章さんが訪ねてきたのが2006年6月。
依頼されたブランディング・プロジェクトは、国が旗を振る「JAPANブランド育成支援事業」に採択されていた今治タオルである。
もっとも大きな問題は予算。大手企業がブランディングに投入する金額に比べたら、このプロジェクトで使える予算はケタ違いに少なかったからである。
不安材料は他にもあった。オーナー企業がクライアントであれば、トップの号令でプロジェクトを一気に進めることもできるが、今回の依頼主は今治商工会議所、今治市、四国タオル工業組合の3者で、主体となるのが100社以上のメーカーを束ねる四国工業組合。
「よし、やろう!」と決断させてくれたのは、富山さんからプレゼントされた『吉井タオル』さんの商品だった。その日の夜、さっそく風呂上りに使ってみた。「!」驚きというより感動だった。タオルを肌に当てるだけでタオルが水気をどんどん吸い取ってくれる。おおげさではなく、僕は風呂上がりの1分で今治タオルの品質に魅了されたのだ。
これだけ強力なコンテンツが、多くの人に伝わっていなのは本当にもったいない
グローバルブランドとして上手く打ち出せば、世界に通用するだけのクオリティーが間違いなくある。濡れた髪を乾かしながら、頭の中ではブランディングの思考回路にスイッチが入っていた。会議室では下せない決断だった。吉井さんのタオルが無ければ僕はこの依頼を引き受けてはいなかったかもしれない。
ブランディングという仕事は、クライアントの思いを具現化し、世の中にきちんと伝え、社会の中でより良いポジションを獲得するための方法を考え、実践していくこと。
端的にいうなら、「本質的価値」✖「戦略的イメージコントロール」=「ブランディング」
だと僕は考えている。
今治タオルのキーファクターは「安心・安全・高品質」であったが、海外からの廉価な輸入品の台頭で、安い輸入タオルの方が売れるという市場の動向に翻弄され「安心・安全・高品質」なものをつくってきたという伝統が「高い=売れない=価値が無い」という認識が産地に根付いてしまっていた。
しかし僕の頭の中には違った消費動向があった。食の分野では農薬や添加物にたいすつ厳しい目を日本の消費者は持っているし。多少高くてもハイクオリティなものが欲しいという客層も確実に存在している。このフィールドで僕は今治タオルの価値を再構築できるはずだと考えていた。
誰もが持っているタオルのイメージ
広く宣伝された企業の新商品、例えば飲料やクルマであれば、その商品やメーカーブランドのイメージは頭のどこか片隅にある場合が多い。
しかしタオルはどうであろうか?誰もが持ち、毎日使う意味では日常生活に溶け込んだアイテムと言えるが、自分でお金を出して質の良いものを選んで買うという「商品」としてのイメージは、当時、あまり持たれていなかったと思う。「もらいもの」が多いのだ。
しかも今治という地名からタオルを連想する人も少なかった。経済産業省・四国経済産業局の調査によれば2004年時点で今治がタオルの産地であることを「知っていた」という人の割合は17.5%であった。
ロゴマークがなくてはならない理由
ブランディングとして僕が最初につくったのは、シンボルとなるロゴマークだ。コミュニケーションに必要な”アイコン”としてロゴマークは必要不可欠だった。
マークの前に僕が考えたのは、今治タオルの「表記」だった。それまでは統一した表記がなくメーカーによって「今治」「いまばり」「imabari」とバラバラであった。
僕は最初から今治タオルを世界に向けて打ち出していく事を念頭においていたので、アルファベットで”imabari towel”と表記することにした。
肝心のマークについてはそれを付けることの意味を考えた。今治タオルのシンボルであると同時に、商品に縫い付ける織りネームとなった時に「安心・安全・高品質」の保証になるという位置づけ。JISマークのように、クオリティを伝える役割をロゴマークに託したかった。
基調としてのは白、青、赤の三色。モチーフとなっているのは今治の美しい自然。白は「空に浮かぶ雲」と「タオルのやさしさと清潔感」、青は「波光煌めく海」と「豊かな水」、赤は「昇りゆく太陽」と「産業の活力」を表わしている。このロゴマークに行き着くまでにおよそ3か月、300以上の案を考えた。ロゴマークは、長く使い続けることを前提に考案しなければならない。強いインパクトだけではなく”デザインの耐久性”も求められる。タオルの織りになった時、店舗の看板になった時、紙に印刷した時、写真で撮った時、モニターやスマホで見た時。どんな使われ方をしたときでもイメージが変わらないデザインをつくるのは簡単なことではない。
僕はロゴマークをつくるときに「50年後に見てもおかしくないか?」ということを必ず考える。50年前以上につくられ、今も使われ続けている企業や商品のロゴマークには耐久性に優れたデザインがたくさんある。そういったデザインに普段から目を向けていれば、50年経って古くささをかんじさせるかどうか判断はできるようになる。
「今治タオル」をわかってもらうための商品
わかりやすく伝えるための戦略として、非常に効果的だったのは「白いタオル」をキープロダクトに設定したことだった。今治タオルの本質的価値は「安心・安全・高品質」そこを際立たせるために、他の特徴はむしと表に出さない方がいいと僕には思えた。
ブランディングにひつようなのは「これが今治タオルです」ということを一目で分かってもらうための象徴的な商品であり、それを僕は「白いタオル」に設定した。
第二章 ブランディングを可能にした産地の奮闘
今治でつくられたタオルであっても、12項目からなる厳格な品質基準をクリアしないと今治タオルのロゴマークをつけることはできない。その基準のひとつに「5秒ルール」がある。タオル片を水に浮かべて5秒以内に沈む。これは吸水性を確かめるための基準で業界団体である「日本タオル検査協会」が定めた検査基準(60秒)よりはるかに厳しい。しかも未洗濯と3回洗濯の2回の検査に両方とも合格しなくてはならない。
他にも脱毛率やパイル保持性、赤ちゃんが口にしても心配が無いレベルの化学物質(遊離ホルムアルデヒド)び含有量など四国タオル工業組合が独自に設定した、いわば”今治基準”は、ブランディング・プロジェクトが始まる1年前以上、2005年3月には組合内で原案が取り纏められていた。
当初はロゴマークの織りネーム単独で縫い付けしか僕は認めなかった。商品名などを表わす織りネームはロゴマークから遠く離れたところに縫い付けてもらった。
今治タオルプロジェクトにとって最上位概念は産地の復活である。個々の会社の利益という雑念によって最上位概念が揺らいでしまってはならない。だから僕はあえて個々のメーカーの事情には一切目を向けなかった。
現在今治タオルに付けてある織りネームの裏面には必ず4ケタの番号が記載されている。これは四国タオル工業組合にとうろくされている各メーカーの企業番号。市場に出回ったタオルにトラブルがあったときには、織りネームのナンバーからつくったメーカーを特定できるようになっている。このアイデアは食品の生産流通過程などで重視されているトレーサビリティの仕組みを応用したもので、ブランドへの信頼を担保するために活用できると僕は考えていた。
メディアから注目された取り組みのひとつにタオル選びのアドバイザーを育成する「タオルソムリエ制度」がある。名誉タオルソムリエとして実業界、芸能界、スポーツ界など14名の方に就任して応援団になっていただき、第一回タオルソムリエ試験が2007年9月に行われ284人が受験し187人が合格。その認定書の授与式もかねて10月19日に「今治タオルメッセ2007」が開催された。
第三章 ブランドは「つくる」よりも「守る」ほうが難しい
今治タオルプロジェクトとして国から補助を受けられるのは当初3年の予定だった。
プロジェクトの短期目標に掲げたのは1年目が「差別化」、2年目が「知名度向上」、3年目が「国内市場の醸成」であった。
2007年にはウェブサイトでの売上が月商1000万円を突破、必須条件に挙げていた東京での売場も、伊勢丹本店だけでなく国立新美術館のミュージアムショップや日本橋の三越本店など次々と増えていった。
国内のブランディングが評価され国の支援が1年延長された。最終年度となる4年目の目標は「JAPANブランドの確立」が掲げられた。
世界に通用する産地ブランド。成功のイメージは「シャンパン」であった。シャンパンと言えばフランスのシャンパーニュ地方ということは世界中の人が知っている。同じ様に「今治タオル」と言えば世界中の人が日本をイメージできるまでになれば、JAPANブランドとして確立したといってもいいはずだ。
国際的な展示会は世界各地で開催されているが、クオリティに共感してもらうという意味で、ターゲットはヨーロッパだった。まずはヨーロッパで認められることを目標に2009年9月フィンランドのヘルシンキで開催されたインテリア見本市「ハビターレ09」へ出展した。
やわらかくて軽い今治タオルはヨーロッパの人たちには驚きをもって迎えられた。今治タオルプロジェクトは翌年度からイタリア・ミラノのインテリア雑貨見本市「マチエフ」に3年連続で出展、展示ブースは毎回白木をベースにした日本調に統一した。
2012年6月にはついに四国タオル工業組合の東京直営店が南青山にオープンした。これは売り上げを創る店ではなく、今治タオルの展示会を街の中に365日開催し、ユーザーとのタッチポイントを作り今治タオルの魅力を多くのひとにプレゼンテーションをするのが最大の使命である。
第二部 世界一のタオル産地を目指してー四国タオル工業組合
第四章 存亡の危機に立たされた今治タオル
いまから90年前、愛媛県今治市は「四国のマンチェスター」と呼ばれるほど活気に満ちた国内の一大織物産地だった。しかし1980年代後半から輸入品が激増し日本のタオル産業は苦境に立たされる。国内生産の5割以上を占めていた今治タオルも1991年をピークに18年連続でマイナス成長となり、気がつけば生産数は5分の1まで落ち込んでいた。
最盛期には500社以上あったメーカーも倒産や廃業によって現在は116社まで減った。
欧米に目を向けると衰退したタオル産地の先例がいくつもある。
例えばアメリカのノースカロライナ州は巨大なメーカーがあるタオル産地だったが、中国、インド、パキスタン、南米からの安価な輸入タオルに押されわずか数年の間に国産タオルメーカーは消滅した。
ヨーロッパでもフランスやイタリアには高級タオル産地があったが、ポルトガルやトルコからの輸入品に圧倒され国産品は史上からほとんど姿を消した。
日本にはタオルの産地が5つあった。今治、大阪の泉州、福岡の久留米、三重の伊勢地区、東京の青梅。そのうち現在も産地として残っているのは今治と泉州だけである。
海外の輸入数量が今治生産量を上回ろうとしていた1994年の組合内アンケートでも今治が衰退に向かうと答えた組合員は半数しか居なかった。産地今治には、危機感よりも「技術や品質では輸入品に負けない」「いいものをつくってさえいれば売れる」「いつかは見直される日が来る」という漠然とした期待感が漂っていた。
多くの組合員が手をこまねいているうちに向かい風は年々強まり輸入タオルは1999年には国内シェアの半分に達し今治でも業績不振や後継者不在による倒産・廃業で組合員数も230社と最盛期の半数以下に減った。
輸入品に対抗できず今治タオルが衰退した反省点はいくつもある。
・ギフト需要に頼りすぎ。バブル崩壊による法人需要の減少に対処できなかった。
・自らも価格競争に陥った
・分業を前提としてきたため、生産体制が硬直化し変化に対応できなかった
・消費者に渡るまでに多くの流通業者を通すためコストが高い
時代の変化に対応できなかった最大の理由は業態そのものにあると分析された。
第五章 産地復活を可能にした「白いタオル」
2004年頃は、毎月どこかが倒産していた様な状況で、早く組合を辞めたほうが得をすると思っていた組合員もたくさんいました。
組合で理事会を招集しても出席率は悪い。産地を活性化する意見を求めてもノーアンサー。欠けていたのは「日本一のタオル産地」であることへの組合員たちの自覚と誇りだった。
組合内の組織を再編、5つの委員会を作った。今治市長の決断で2億円の予算を議会で通し3年間限定で2003年3月から東京・銀座のみゆき通り沿いにアンテナショップ「いまばりタオルブティック」がオープンした。その実績を添えて組合は、地域団体商標登録を申請し登録が完了しJAPANブランド育成支援プロジェクトにも採択され産地復活に向けて動き始めた。
佐藤可士和さんとの出会い、最初に組合員の多くが拒否反応を示したブランド戦略が「白いタオル」である。メーカーからすると白いタオルというのは年賀や開店祝いで大量にタダで配られる安物の代表格、そんな、のっぺらぼうのタオルなんか誰も買うはずがないというのが常識だった。
しかし佐藤氏の説明は明快だった。
水の品質を伝えるのに、いきなり珈琲を淹れて出しますか?炊き立てのごはんの美味しさを伝えるのにカレーをかける必要がありますか?タオルも同じで、ベースとなる品質を伝えるのに色や柄はいらない。今治タオルの素晴らしさを、余計な要素を加えず伝えるには「白」しかないんですー。ない物を付加するのではなく、元々あるものを磨くこと。それが本質的価値を見極めたブランディングであることを佐藤氏は我々の意識に根気強くインプットし続けました。
そして「白いタオル」がキープロダクトになったことが、後に組合員の足並みが揃うきっかけのひとつにもなっていったのです.
第六章 結集し始めたタオル産地・今治の力
前述のタオルソムリエ制度とともに、今治タオルプロジェクトの中から生まれた人材育成の施策に「タオルマイスター制度」がある。
今治のタオルメーカーを支えてきたのは技術者たちです。その人たちの功績を、なんとかして世に伝えたいというのは産地ビジョンをつくったころから抱いていた組合長の思いだった。
それが奇しくも、今治タオルのブランディングのプロセスの中で佐藤氏の口から同義のプランが提示され、会議を重ねた結果、プロジェクトが認定するタオルマイスターが創設された。
タオルマイスター・資格要件
①実務経験20年以上
②技能検定1級合格者
③職業訓練指導免許を取得したもの
④後進を指導育成する事業や団体に協力・貢献した実績があり、今後も次代をになう技術者へ技術・技能・知識の伝達に携われる者
⑤本人及びに所属する組合員企業の同意が得られること
2008年10月17日、テクスポート今治で開催した「タオルメッセ2008」の会場で、第一回タオルマイスターの叙任式が行われた。選出された名匠は4名であった。
2008年11月、今治タオルプロジェクトの事業評価を目的とした認知度調査を行った。4年前に今治がタオルの産地であることを「知っている」「聞いたことがあるような気がする」と答えた人が36.6%、今回の調査では知っているという人が30.1%、「聞いたことがあるような気がする」という回答を含めると、認知度は50.2%まで達した。
日本人の2人に1人は「今治」と「タオル」のイメージが頭のなかで結びついているーブランディングによって動いた石は確かに転がり始めていた。
第七章 今治から東京・南青山、そして世界へ
2012年6月に今治タオル南青山店はオープンした。
理事会での理事長の説明では、佐藤氏から「東京店は利益を上げるのが目的ではありません」とメッセージが伝えられた。今治タオルのブランドを広めるため、情報の発信地となる東京に拠点があることが不可欠である。直営店は消費者にたおするショールームの役割を果たし、すでに東京で出店している組合員企業にとっても相乗効果が期待できる。
南青山店の客層は、通りすがりの買い物客では無く、今治タオルに興味を示し、明確な目的を持ってわざわざ訪れるユーザーばかりだった。「自分の好みにあったタオルが欲しい」「大切な人への贈り物を選びたい」自分の好みの1枚を選ぶために大典客が2~3時間かけて商品を吟味する光景は、南青山店では珍しくなかった。
「タオルは、人が生まれて命を終えるまで、一生使うものですから、その時々の自分に合ったタオルに出会えた人は幸せだと思います。そのお手伝いをする我々スタッフもこんなにやりがいのある仕事はないと思っています。」と店長の声。
南青山店がオープンした2012年、今治タオルの認知度調査を実施した。前述したとおり、2004年が36.6%、2008年が50.2%、それから4年が経ち、認知度は71.4%までに上昇していた。
2014年3月にはシンガポールの「メゾン・エ・オブジェ・アジア」に出展、独自ブランドの価値を発信していった。
昔は「この値段で作れ」という問屋の要求にメーカーは抗うことができなかった。仕事がもらえなくなるからである。しかし今はものが言える。ブランドの織りネームが付いた今治タオルを扱うことは多くの問屋の希望にもなっている。
輸入品との価格競争がつづく安売り市場は、もはやわれわれの主戦場ではない。価値ある商品が適正価格で取引される市場こそが今治タオルが開拓してきた”未来”だと言ってもいい。
ブランディングによって復活した「今治」のネームバリューは、組合員企業が独自に市場に出て行くための力強いスプリングボード(きっかけ)になっている。
メーカーにとって産地ブランドは活用するものであって、頼るものではない。ブランドに依存することが、どんな結末を招くのか、われわれは経験済みなんです。今治のタオルメーカーは、各社それぞれに強みを持ち、その強みを活かしています。
世界に通用する価値を武器に、メーカー各社がオリジナリティに溢れた自社ブランドの商品を作り続けていく。それがブランドプロジェクトによってもたらされた「今治産地の現在」である。
あとがきーわずか二パーセントが生んだ”奇跡”
今治タオルプロジェクトがインターナル・マーケティングに苦慮していたとき、組合理事長の藤高さんは僕にこう言った。「組合員企業の全員に下駄を履かせたい」
マスターブランドというものは、まさに下駄のことだ。産地・今治のタオルメーカーは、全員が「今治タオル」ブランドという下駄を履いたことで元気を取り戻した。
この本は、かつての今治の様に、危機を乗り越えようとしている日本中の人たちに向けたエールだと僕は思っている。
今治タオルの国内市場における2013年のシェアは11.2%、生産数量の底だった2009年は9.2%だった。わずか2%の成長で、国内では”奇跡の復活”が果たせることになったのだ。
ブランディングによって、2パーセントの成長が期待できる地域産業や企業は、日本中に山ほど存在する。本質をつかみ丁寧に正しくつたえていくことで、「いいものをつくっているからこそ売れる」という未来に変えることができる。
伝えるべき価値とその答えは、僕にとってはいつも相手の中にある。そして地域産業や企業にとってのそれは、常に自分の中にあるのだ。
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「販売職×食」業界で働いてみませか?
新卒で入った会社での自分の成長が感じられなくなりました。
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